HSPと非HSPの感受性の違いをわかりやすく例えるなら
非HSPにはHSPがとても「わかりづらい」ようなので
思いっきりわかりやすいだろうと思われる例え話をさっき思いついたので書きます。
例え話というのは「かゆみ」 と 「痛み」 の違いです。
※一般的な外からの刺激によるかゆみ、痛みの場合のことを言っています(アトピー等の肌の病気等で起こる強過ぎる特殊なかゆみの話はまた別)
「かゆみ」と「痛み」は、実はもともと同じ刺激だと言うことをご存知でしょうか。
違いは、実は「強度」が違うだけで刺激としては同じものなんです。
かゆみも痛みも、神経で伝わって脳で感じるものですが
強いかゆみというのももちろんあるのですが
強過ぎる、とてもとても強いかゆみ = 痛み
として人間は感じるのです。そういう風に脳が判断し「痛っ!」と感じるのです。
逆に言うと、
とってもとっても弱い痛み = かゆみ
そういう風に脳が判断して「あ〜ちょっとかゆいな〜」とか感じるわけです。
そして「痛み」というのは、「このままでは危険!」と本人に知らせるためのシグナル。
例えばケガしたときとか。手当しないといけないときとかに「痛み」が発生します。
さて、そこで
HSPと非HSPの「感受性」の違いですが
大きな音とか、落ち着かない状況とか、光の刺激とか、何でもいいですが
非HSPにとってはたいしたことない、ちょっと我慢するだけで済む出来事 = 先ほどの例の「かゆみ」
でもこれを、HSPは、「かゆみ」ではなく、「痛み」と感じてしまいます。
そこがHSPと非HSPの大きな違いです。
「痛み」と言うのは生体を守るための危険信号です。
ですからその「痛み」が続くことは非常に苦痛なのです。
つまり非HSPには「たいしたことない」「気にならない」ことが
HSPにとっては「心が傷つく」とか「非常に不愉快」に感じられるということです。
同じような状況下で非HSPにとっては「ちょっとかゆい」くらいのことがHSPにとっては「痛い」。
一般的にHSPが「生きづらい」と言うのはまさにそういう理由からです。
またそこが非HSPがHSPを「弱い」とつい思ってしまう理由です。
非HSPにとっては「どおってないこと」で非常に苦しんでいたりするわけですから。
でも感じ方の違いなのでHSP本人もどうしようもありません。
また、もしHSPに対し、「強くなれ!」と非HSPが願ったところで、
それは、「痛み」を「かゆみ」と感じろ、自分の感覚をだませと言うことになり、到底無理な話なのです。
で、もしそんなことを続けていたり、我慢し続けていると、HSPには無理が溜まってしまい最後にはダウンします。
(特にHSP,非HSSは注意)
毎日毎日痛みを感じるようなケガをし続けていたら、からだは傷だらけになっちゃいますね。
傷だらけになったあなたを見て、周りも「手当したら」「からだ休めたら」といたわってくれるかもしれません。
毎日毎日心にケガをし続けていたら、同じように、心がボロボロになっていきます。
でも心の中は人には見えません。周りもほとんど気が付きません。
HSPは、この繊細な感受性ゆえ、芸術性が高かったり、カンが鋭かったり、理解が速かったり
人が見落としてしまうような微妙な違いに気付くのもHSPの特徴です。
才能と、脆さが、まさに表裏一体。
いつも何かしら「生きづらさ」を感じ続けながらそれでも精一杯生きている。
それがHSPです。
ちなみに、最近のかゆみの研究では、
「かゆみ」の認知では頭頂葉楔前部(けつぜんぶ)が活動し、「痛み」では活動が見られない等の違いが発見されたり、かゆみと痛みの違いが少しづつ解明されてきました。
かゆみと痛みは、脳の違う部位で認知されているということらしいです。
HSPと非HSPでは、神経システムが違うらしいと言われています。
同じことをされても、不愉快に感じない人(非HSP)と
非常に不快に感じてしまう人(HSP)がいるということ。
きっとその違いが、そして、それがHSPにとっては本当に耐えられないと言うことが科学的に証明され、
非HSPが理解してくれる日も、いつかは来るのかもしれません。
でもそんな悠長なこと、待っていられないので、もしあなたがHSPならば、ご自分のことをもっともっと大切にされてはいかがですか?
そして、非HSPの人で、あなたの大事な人がもしHSPなら、少しでも理解していただけたらと思います。