テレビに出てみてつくづく思ったこと「私、HSPには見えないなあ」

ZIP!ですが、一応全国放送ですが、中身はその地方地方で差し替えられて地域密着の内容となっているようでした。
(そこまで知らなくてすみません)

放送後に、周りから教えてもらった限りでは、福岡と、東京のZIP! では、
よしもとNSC☆ジュニアのこと、放送されなかったそうです。

大阪なんばにある、よしもとNSC☆ジュニア大阪 についての取材番組だったので、
もしかしたら関西方面でしか放送されなかったかもしれません。

このブログの告知を見られて、もしテレビをご覧になろうとしていただいていた、関西方面以外のかた、大変申し訳ございませんでした

近々、できたら、放送をYou tube 等で?(やり方がまだわからないのですが)動画でブログにUPすること、
やってみて、できたらUPしようと思います。
(よくわかりませんが、もし著作権?とかに引っかかるのだったらできないかもです)



取材時間は、全部で3時間程度でした。

そのうち、テレビカメラが回っていたのは、たぶん1時間半ちょっとくらいだったかなあと思うのですが

いろいろなことを話したのですがほとんどカットされていたし、相当、編集されていました。

・・・・こういうものなんですね、テレビ番組って。


特に、編集はスゴイなあ、と思いました。見事だと思いました。

何時間かあった、取材の中で、実際に放送されていたのは「娘のお下品お笑いネタ」と「芸人の年収のこと」でした。

「芸人の年収のこと」については、

息子が

「芸人さんの年収って、○○万(高額)だってよ、奥さん」と私に振ってきたので(・・・母を「奥さん」と呼ぶ息子

「それ聞いて、NSCに入れてよかったかも〜と思いました〜」と私が話に乗って言ったら

私の笑顔がドアップで映し出され

「子供さんを芸人にするのが夢のお母さんです」みたいなコメントが流れていました。


・・・私は息子の言ったことを、受けて、ノリ良く言っただけなんですが・・・

また、「それだけ高額稼げるのは、ほんの一握りだし、うちの子たちもこの先どうなるかわかりませんけどね」等も

言ったのですが、それは綺麗にカットされていました。


「・・・う〜ん、子供が勝手に芸能界目指しているので、応援しているだけなのになあ」と思ったり

「なんか、これじゃあ、私、子供働かせて、お金目当ての『ステージママ』みたいじゃない・・・?」と思ったりしましたが

見た目で誤解されることには普段から慣れているので、まっ、いいか、と思いました。


やはり、面白いところだけ、そして、番組の趣旨に沿うところだけを抽出して、編集して、

番組って作られていくんだなあ、と実感したりしました。

確かに、見てる人が面白くないと、チャンネルすぐ変えられちゃいますからね・・・


娘は、芸能界を目指しているみたいなので、

もし本気で目指すなら、番組制作側が何を求めているかを察知して、

それに沿った言動をすることがとても大事になってくるんだろうなと思いました。



さて、放映日、テレビに出ている自分を見て思ったことは、

「テレビって、横幅太く、顔がデカく映るなあ」

特に感じたのは、「私、HSPには全然見えないなあ」ということでした。


テレビに映っている私は、自分から見ても、「お気楽で明るいお母さん」ていう感じでした。

でもこれは、一般的に、大部分の人が私に対して抱く印象のようで、(自分としては違和感を感じるのですが)

今まで、親兄弟はもちろん、友達や周囲からもだいたいそういう風に思われてきたのではないかと思います。



心理学的には

人間は、「人の見た目と中身を一致させたがる」という心理が働くのだそうです。

確かに、時代劇で、悪人面の人がそのまま悪人で、ヒーローが善人というのはとてもわかりやすく、スッキリしますよね。


また、現実でも、たとえ犯罪を犯しても、それが 清楚な美人や 爽やか系イケメンだったりすると、

「悪いことしたのには何か理由があるのだろう」と、思われやすかったり、見逃してもらえやすい部分があるそうです。

(でもこれが美女が男を手玉にとっていたり、イケメンが女性を騙してたりする犯罪だと逆に
普通のルックスの人がした場合以上に、非常に印象が悪い)


実際、私の中にも、

「人の見た目と中身を一致させたい(そのほうがわかりやすいし)」という心理が働いているかも、とテレビ画面の中の自分を見て感じました。

HSP=感受性豊かで繊細な人

なので

HSPの人って

→痩せていて(繊細な人って痩せていそう)
→か弱そうで(繊細だからか弱そう)
→表情なんかも繊細そうに違いない

などという「思い込み」があったことに気づきました。

テレビ画面に映る私は、まったくそんなふうではなく、どちらかというと
「明るい」
「顔が丸い」
「寛大そう」
「細かいこと気にしなそう」

どっちかというと「肝っ玉母ちゃんタイプ」に見えました。(確かに、ホロスコープでは肝っ玉母ちゃんの配置ですけど)


ですから、今まで私は、「繊細そう」だとはあまり思われず(確かにそう見えませんから仕方ないかもね)

子供のころから、周りから、けっこう普通の、というか、
普通以上に相当荒っぽい扱いもされ、必要以上にビシビシ鍛われてきたように思いますが

・・・まあこれなら当然かも、仕方ない、水に流そう・・・と思えました


私のように、

「HSPぽく見えない」というHSPもたぶん世の中けっこういらっしゃるかもしれません。

見た目が繊細そうなら、周りも少しは気をつかってくれて楽かもしれませんが

見た目と内面にギャップがある人も多いわけで。


そういうHSPのほうが、「繊細でない人に対する扱い」「荒っぽい扱い」を受けて傷ついたり

勝手に「(見た目が)強そうだからあなたは大丈夫」と、ほおっておかれたり、無理なことをさせられやすいかもしれません。


また、男性のHSPだと、「男は強くあるべき」という世の中からの無言の圧力を受け、

繊細な自分を隠し、無理を重ねてこられただろうなと思います。


人は見た目で判断しますが、内面のことは、人にはそうそうわかりません。

HSPは見た目ではわかりません。

もともと理解されにくいHSPですが、見た目がHSPぽくない人、強そうに見える人等は、
さらに輪をかけて、その感受性を、周りの人に理解されにくいかもしれません。

ですから、そういう人ほど、なおさら、自分を守り、自分の内面を大事にするべきなのかもなあと思いました。


自分を振り返ってみると

子供のころは、「親に自分を理解して欲しい」

学生のころは、「友達に自分を理解して欲しい」

また、結婚してからは、「夫に自分を理解して欲しい」

等々、えんえんと、理解者を探し続けてきたような気がしますが


私のこと(HSPのこと)を理解するかどうかは、私の問題ではなく、相手の問題。

相手の頭の中で理解するわけですから、相手がどうするか、にかかっていて、完全に相手の問題。

私側(HSP側)の問題ではありません。

理解して欲しい、と思うのは、HSPの私の望んでいることで、
相手は別に理解したいとも思っていないし、その必要性も感じていないかもしれないのです。

というか、違いにさえ気づいていないかもしれないのです・・・


相手の問題なのに、そのことを私が考えているのは、相手の領域に、私が侵入してしまうことになり、

それは、私にとっても、相手にとっても幸せなことではないこと

私が頭を悩ませても仕方のないことなのだと、この年になって、やっと気づいたし、割り切れるようになりました。


それよりも、自分の人生を自分らしく生きることが、一番大切なことですよね・・・


もう、今の私は、理解者を探し求めることはしていません。

いたらいいなあとは、もちろん思いますが

「もしたまたま理解者が見つかったら、それは相当、ラッキーなことなんだ」 と思っています。



HSPの方にお知らせ

11月13日(日曜日)、HSPだけの会を開きます。HSPのあなた、一緒にお茶しませんか
同じHSP同士だから、感受性が近く理解しやすいかも。同じ思いが共感できるかも

「HSPの会」についてはこちら