非HSPの「幸せ」と、HSPの「幸せ」って、どこか質が違うような・・・

以前から、思っていたのですが

HSPにとっての「幸せ」と、HSPにとっての「幸せ」って、どこか質が違うような気がしているのです。


HSPは、他人より年収が高いとか、ルックスが他人よりいいとか、良い職業についているとか

そういうことにとてもこだわりが強いように見えます。

そして、他人よりも優勢に立つこと、が一番と考えているような?ところが見受けられます。

「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉を作り出してそれに反応しているみたいにも見えますが


勝ったからってそれが何なのか、負けたからそれが何なのか・・・・・ちょっと疑問に思ったりしませんか?


私は、どちらかと言うと、何でも「自分との勝負」だと思ってきたので、

自分がちゃんとできていなくて失敗してしまったときは非常に悔しいですが

他の人に勝っても負けても、自分としては、どうでもよい事で、それほど何も感じていないことが多く

HSPに、「何で喜ばないの」とかよく言われてきましたが、何で「勝つこと」がそれほど嬉しいのか

昔から、今になってもずっとわかりません。


HSPならいざ知らず、HSPはあまりその辺にはこだわりのない人がどちらかと言うと多く、

人と優劣を競うよりも、周りと協調して仲良くやっていく方が大事と思うタイプがとても多いように感じますし

HSPの多くは、もし人より「勝っていた」としても多少は嬉しくても、非HSPが嬉しがるのと同じほど嬉しいわけでもないように思います。

どうでも良いような些細なことでも、「他人に勝った」ときの非HSPの喜びようと言うのは、凄まじくて、

HSPの私から見ると、「・・・そこまで嬉しいか?」と、ちょっと引いてしまうほどです。

(非HSPは人間の上下関係とか優劣とか、その辺には本当にこだわりがある人たちだと思う)


勝った影には、負けた人が必ずいて、勝ったということは、負けた大勢の人たちの「恨み」「ねたみ」を受けてしまうことになります。

HSPは、非HSPから、はからずも、妬み、そねみを受けて来られた方も多いのではないでしょうか。

足を引っ張られたり、正直、とっても

・・・・めんどくさいですよね・・・・


やりたくもない競争に加わらされた上、人から妬みまで買うのでは、割に合わないなあと言う気がします。


それに、人生の大半を「勝ち負け」だけに費やすなんて、なんて貧しい人生なんだろうと思うんです。


人を蹴落として笑う人の顔は醜いと感じます。



世の中、「非HSPの価値観」で作られていて、メディアもそれを煽っているように思いますが

もしあなたが非HSPならば、それでいいし、それでけっこう楽しいかもしれないし、

そういうのに生き甲斐?さえ感じイキイキできるものなのかもしれませんが

HSPの私には、どうもピンと来ません。



HSPなら、

HSPによって作られた、非HSPの価値観に踊らされるのではなく、

自分が納得できる、満足感が得られる、自然でいられる、


・・・・・そんな風に生きていたいとは思いませんか?