私にとって、キーパーソンの非HSPさんたち
前回、11月にHSPの会を開いたときは、初回と言うことと、私の主催と言うことでとても緊張しました。
会自体は楽しく有意義で、参加者の皆さんからも好評でホッとしましたが、
さすがにその翌日はぐったりしておりました
それで、今後また自分が会を続けて開いていけるかどうか自信が全然なかったのと、
12月が自分の天然石ジュエリーのネットショップの一番の繁忙期ということもあり、
次の開催できるとしたら来年3月以降くらいかな〜と考えておりました。
たまには誰か代わりに会をやってくれたらいいな〜と甘い期待もしつつ
先日、11月22日ごろかな?
mixiにHSPコミュニティを立ち上げたりしてみました。コチラです。
(以前からコミュニティ立ち上げの依頼はありましたがあまりSNSに詳しくなく立ち上げたことがなかったため
正直どうして良いのかわからずそのままだったのでしたが先日立ち上げました
コチラです。次第にメンバーも増えつつあります) ←mixiのへの登録が必要です。
でもまだ1週間前に立ち上げたばかり・・・
まだまだオフ会をそれぞれの地域で開けるほどはコミュニティのメンバーが集まっていないし
コミュニティ内でオフ会を開けるくらいのメンバー数になって
それぞれの地域で会の主催者が表れるようになるにはまだまだあと1年くらいはかかるかもしれないなあ・・・
でもHSPの会は開いたほうがいいと思うし、どうしたらいいかなあ・・・と思っていました。
そんな時、ちょっとしたきっかけがあって結局また自分で12月に開くことにしました。 早速、会場も予約済ですハヤッ
12月24日の「第2回HSPの会」の詳細はこちら
なんで来年3月予定だったのが、12月に早まったかと言うと・・・・
実は先日、非HSPの身内と話をしなきゃいけないことがあったのですが、
その話の通じなさ加減に、疲れ果て、その後、眠れなくなったりして仕事にも相当長いこと支障をきたし
(といっても2、3日ですけどそれでも困る お客さんに迷惑かかっちゃうし)
というわけで実はこのところ、非常に大変な思いをしていました・・・
そして
・・・やっぱり、HSPはいいな
とつくづく実感しました。
感覚が通じる、感受性が似ている、ということは、非常に大きな安心感に通じます。
今まで、私は、HSP相手で嫌な思いをしたことはほとんどありません。
HSPの人だと、トラブルもほとんど起こらないし、こちらが混乱するような状況になることはほとんどありません。
「自分の都合をまず最優先」「力の強い弱いの勝負をつけたがる」非HSPとは、
ちょっと話をするだけでとても疲れるし、なんだか話がとてもこじれやすいです。
何でそんなに怒るのか、良くわからないことでいきなり怒ったりするので驚くし、落ち着いて話もできません。
(非HSP独特のプライドの問題なのかもしれないけど、怒るポイントがいまひとつ良く理解できないことが多い。
もちろん非HSPがすべてそうだとは限らないかもしれませんが)
非HSPとのトラブルが起こると、なんか不安感を煽られてしまうんですよね・・・
世の中、非HSPが圧倒的多数なので、しまいにゃ〜、世の中全体が怖く感じられてくると言うか。
非HSPとのトラブルが起こると、自分の中では
世の中全体への不信感にまで膨らんでいってしまいそうになることさえあります。
話が少し変わりますが
故 小林正観さんのたぶん亡くなる1年前くらいの講演会に行ったことがあります。
(その後の講演会が正観さんの病気悪化のためほとんど中止になり、その後、亡くなられました。
初めて行った正観さんの講演会が、私にとって、正観さんの最初で最後の講演会になってしまいました。
あのとき行っておいて本当に良かった
すごく感動的で、深くて、いろいろ考えさせられて、とにかくじーんと感動して帰ったら、その日の帰り自宅マンションのエレベーターが動かなくなり20分くらいの間ですがエレベーター内に一人閉じ込められました。他の住人の人が気づいて管理会社に連絡してくれましたが、そうこうしているうちに、またなぜかドアが開いてくれて無事出れたという・・・^^;
電気機器って、PCの具合とかも、しばしば人間の感情や電磁波に左右されるなあと普段から感じていますが、そのときの感動が大きすぎたせいか、単にエレベーターが調子悪かったのかわかりませんが、普段は閉じ込め事故起こしたことないエレベーターだと長く住んでる住人の方からは言われました)
正観さんが講演会の中でされたたくさんのお話の中のひとつ
「幸せと不幸は、生卵の黄身と白身」という話を覚えています。
白身が不幸で、黄身が幸せだったと思うのですが(逆だったかもしれませんがその辺はお許しを)
幸せと不幸は、卵と似ているんだそうです。幸せと不幸は、合わせてひとつの卵、みたいなものなんだそうです。
人間、不幸を感じるから幸せを感じられるんだそうです。(言われてみれば確かに・・・)
幸せと不幸は、ワンセットだそうです。
そして、生卵は、割って混ぜると混ざりますが、不幸も幸せも、もともとひとつのもので
どちらが悪いとかいいとかそういうことではなく、ただ、ワンセットだということでした。
(ちなみに決して「ゆで卵」ではないそうです。ゆで卵は黄身と白身をキレイに混ぜることができないので)
私にとって、生卵の黄身と白身は、HSPと非HSPのことなのかな〜と思ったりすることがあります・・・
というわけで、次は早くても来年春ごろかなと思っていたHSPの会ですが、
非HSPのキーパーソンのおかげ?で
「HSPの人たちが懐かしいかも」
「もっとたくさんのHSPさんたちに会ってみたいかも」
と言う気持ちになってしまったので、12月も開こうと思います
だって、会では「HSPの人たちだけ」と会えるんですもん。
こんな貴重な会ってなかなかありません
仕事も確かに超忙しいですが、まあなんとかなるでしょう
私の非HSPのキーパーソンって、どの人も非HSPの中の非HSPで、まさに典型のような人たちで、
確かに、その時点ではすごく嫌な思いをしたり、いろいろ非常に対応に苦労させられたりするのですが
よ〜く考えてみると、
そんなキーパーソンさんたちのおかげで、今の私の幸せがある
と言っても過言ではないなあと思います。
この人たちとの関わりは、私にとっては非常に痛みを伴うものでした。
非HSPの中でも特に強烈な人たちで、今でもちょっと関わっただけでヒリヒリとした痛みを感じますが
もしこの人たちがいなかったら、私は今のような
「HSPの自分向き」な生活方法を真剣に選んでは来なかったかもしれないし
それほど頓着しなかったかもしれないし、こだわらなかったかもしれない。
HSPと非HSPの違いや役割・関係等について、それほど深く考えることも、なかったかもしれません。
ひとつ、言えるのは、
この非HSPキーパーソンさんたちが、いつも、私が跳躍するためのバネになってきた ということです。
ですから、キーパーソンさんたちには、「ありがとう」と感謝の念さえ沸いてくることがあります。
今の生活では、普段はすっかり忘れていたりするキーパーソンさんたちですが(アハハ)
この人たちのおかげで、自分がどんな性質の人間なのかを、よ〜く再確認することができます。
普段はどうしても「自分が基準」になってしまっているので、非HSPの考え方や基準をつい忘れてしまっています。
キーパーソンさんたちとは、今では、ごくたま〜にしか接しませんが、
そのたびに「HSPの自分」というものをクッキリ明確に再認識させられます。
うまく言えませんが
「輪郭」が浮かび上がってくる、というか、
自分の「心のシルエット」がはっきり浮かび上がって見えてくるような・・・・そんな感じです。
HSPの自分をはっきりと自覚する、そういう意味では、HSPには、もしかしたら非HSPが必要なのかもしれません。
そして、その後、どうするかはその人自身で選び取っていくものなのでしょう。
非HSPのおかげで、つらいことも多いかもしれませんが、それをバネにして飛んでみませんか
何が良いか悪いか、わかりませんね・・・
幸せと不幸は、生卵、なんですね・・・