[]「相手を喜ばせたい」「笑顔にしたい」と思うのが愛情かも


「本当の愛情」というものが何なのか、わからなくなることってありませんか?


「あなたのためなのよ」とか、言う人。

またはそういうニュアンスを漂わせる人。


「(不本意ながら)束縛されてしまうというのも独占欲という一種の愛情なのかな」


たくさんの疑問の中のひとつでした。


でも、ちょっと違うような・・・とも感じていました。


区別をつけるのが、

そしてどこまでが愛情で、どの辺からが違ってくるのか・・・判断がなかなかつきません。難しいです。



昨日、ちょうど子供がテレビで「奇跡体験アンビリーバボー」をつけていて、偶然見たご夫婦が衝撃的でした。

ご主人が事故で重症で麻痺が残り、看病している奥さんでした。

ものすごく大変な状況にも関わらず、ご夫婦がとても自然に幸せそうに笑っているのです。

番組の内容はコチラ
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/111208_2.html


ご主人は、事故にあってしまう前はもちろん、事故後も、変わらず、

「奥さんの笑顔が見たい、何でもいいから喜ばせたい」と思っていらしたようです。

・・・だから幸せなのかもなあ、と思いました。


家族が自然な感じで、ニコニコ笑っていて、幸せな雰囲気があふれていて。

どう考えても、すごく大変な状況下というのに。

なんだかとても羨ましかったです。



夫婦でも、恋人でも、親子でも、友達でも、人間関係は、

「相手を喜ばせたい」と思っている状態が、良い状態といえそうですが


お互いに「相手を喜ばせたい」と思う気持ちがある場合は、幸せですが

お互いに「相手に幸せになってほしくない」と思っている場合は、怖いですね


でも、そういう不幸な関係って、幸せな関係と同じように、世の中にけっこうあるようにも思います。

「相手を困らせたい」とか「困った顔が見たい」と思う人もけっこういるかもしれません。


相手を喜ばせたいと思っていないのに、相手の幸せを望んでいないのに、

相手にこだわり、心がしがみついていて離れないでいるのがきっと「執着」なのでしょうね。


そういう人からはできるだけ早く、離れたほうが良いし


もし自分のほうが執着しているような状況に陥ってしまったなら

「自分は相手を喜ばせたいと思っているか。自分は相手の幸せを願っているのか」と

よくよく考えてみたほうが良さそうですね。


もしかしたら考えていたのは、「自分の幸せ」メインで、ほとんどそればかりだったりして



片方だけが「相手を喜ばせたい」と思っているけれども、もう片方はどうもそう思っていないようなときは、

バランスが悪すぎるので、もう、その人とは縁がないとあきらめた方がいいと思われます。


ご縁は、きっと他の人とあるのでしょう。


ご縁のない人とムリに縁を作ろうとするのは、時間とエネルギーの無駄。疲れるし遠回りしてしまう。



「相手を喜ばせたい。そして、自分も幸せになりたい」と思うこと

お互いにそう思っている関係が、きっと、ベストなのでしょうね。



「子供の幸せを願っているから、子供の笑顔を見て嬉しいから、私は今、とりあえず幸せなのかもなあ・・・」

と思いました。

(でも子供がいつまで私のことを思ってくれるかはわかりませんし、
もしかしたらたいしてそう思ってないかもしれませんが 
子供にとっての、母親の重要度って、たぶん、子供が年齢が上がるにつれて少しづつ下がっていきますよね)



ちょっと脱線してきましたが

話を元に戻すと




 自分は、「相手を喜ばせたい、相手の笑顔を見たい、相手に幸せになってもらいたい」と、思っているかどうか。

  そして、実際にそのように行動しているか。


 相手は、「私を喜ばせたい、私の笑顔が見たい、私が幸せになって欲しい」と、思っていそうかどうか。

  そして、実際にそのように行動してくれているか。



もし、そうでない場合は、あまり重要な関係ではない、前向きな関係ではないのかも・・・・



自分の気持ちが、自分でよくわからなくなったときも

自分に対する、相手の気持ちがわからなくなったときも、


これで、だいぶいろいろ人間関係の「重要度判定」みたいなのが、できちゃうかも