非HSPに「思いやり」は期待しないほうがいいかも
HSPが困ったときに、HSPの状況を理解し助けてくれる非HSPというのは、とても少ないと感じています。
最終的には助けてくれることもありますが、必ず「損得」が絡んでくるのが、ちょっと悲しいところです。
それは、親しい間柄や、親子・兄弟間等でさえもそうです
非HSPは、自分に得にならないこと、面倒なことは基本的にやろうとしません。
非HSPは、そのときの自分のためにならないことは、見事なほどドライに、バッサリ切り捨てることができます。
(この能力には驚きますが、この点は自己犠牲をやってしまいがちなHSPは、自分自身を守るために
見習う必要がある場合もあるかも・・・と時々思ったりします)
非HSPは、「思いやり」とか、そういうことにもあまり頓着しないようです。
(もちろん個人差あります。非HSPにもよります)
子供のころから不思議だったのですが、学校の「道徳」の授業。
道徳の本に書かれていることは、(たぶん)HSPなら、誰でも普段から普通にしているようなことばかり。
「人の気持ちがわかる人になりましょう」とか
「思いやりを持ちましょう」とか
「人の嫌がることをしてはいけない」とか
そんなの当たり前じゃん!?
なんでわざわざそんなことで授業するのよ?
と思う内容のことばかりですが、授業を進めていくと、内容がわかっていないクラスメートもいるみたいで驚愕。
そうなんです、
「道徳」を学校で教えるのが必要だということは、逆に言えば
「それを教える必要がある子もけっこう多いから」わざわざ時間を取って授業するんですね
うちには、HSPの息子と、非HSPの娘がいますが、そのやり取りを見ていて、違いを感じました。
今日、HSP息子は鼻血を出してしまったのですが、「ティッシュ取って」と、非HSP娘(ティッシュボックスのすぐ近くにいた)に頼んでいました。
(この子は昔から鼻血多い。「鼻血ブー」と言うのも10室テイルっぽいですね〜)
非HSP娘は、最近、兄妹ゲンカが多かったのもあって、無視していました。
(ついでに言うと娘は鼻血なんてここ何年も出したことがない。10室金星なので一応「綺麗系」なのかも?)
「なんで取ってくれないの!(僕が鼻血で困っているのに、思いやりがなくて)ヒドイ!!」と
HSP息子は激怒。カンカンに怒って叫んでいました。
非HSP娘が無視し続けているので、結局、私が、ティッシュ取って来て息子に渡しました。
「まあまあ、そんな怒んなよ、興奮するともっと鼻血出ちゃうしさ・・・」とか言いながら。
非HSP娘も冷たいなあと思いましたが、HSP息子も、ギャーギャー怒るだけ無駄だし正直うるさかったです
HSPは、自分自身が、人の気持ちがわかり共感性が高いこともあり、困った人には素直に手を貸すところがあります。
HSP息子は、私や娘が鼻血で困っていたら、すぐにティッシュ持って飛んで来るでしょう。そういう子です。
対して、非HSP娘は、もし非HSP娘自身が鼻血出たとしても
非HSP娘は、こういうときも「ティッシュ取って」とか、人にあまり頼みません。自分でやります。
もし頼むことがあっても、頼んでも取ってくれなければ、さっさと自分でやります。
何でもそうですけど、非HSP娘が「私が鼻血出して困っているのに、ティッシュ取ってくれないなんて、冷たい!!」
と言って怒ったりとか、恨みがましくそういう類のことを言うのを聞いたことがありません。
「あ、取ってくれないんだね、いいよそんなら別に、自分でやるし」みたいな軽いあっさりした感じです。
非HSPは、HSPほど、周りの人に「思いやり」をあまり期待していないみたいです。
そのかわり、思いやりにも欠けている(と感じられる)ところがあります。
非HSPとHSPでは、善悪の基準さえも、少しズレがあるような気がすることもあります。
ただ、非HSPのもともとの素質が、
「王族・戦闘タイプ」と言うのを思い返せば、
偉そうにするのも、力比べや競争が好きなのも「ああ、もともとそういう人たちだったよね」と納得しますし
戦闘の際に、傷ついたり亡くなった同胞にいちいち涙していては戦いにならないでしょうし
もともとどこか冷たく、どこか自分本位な素質を持っているのかもしれません。
HSPが、「周りの人が冷たい」とか、周りに不満を感じがちなのは、
HSP自身が、優しい部分や、思いやり深く、共感性が高い部分があるため、
周りも自分と同じだろうとどこかで思いこんでいる所があるからではないか、と思うことがあります。
でもHSP、非HSPに関係なく、相手がどうするかは、相手が決めることで、相手の勝手です。
(同様に自分にも自分の好きに決める自由があります)
非HSPには、あまり思いやりを期待しないほうがいいかもと思います。
HSPと比べ、共感性も低く、思いやりは、もともと少なめのように思います(HSPと比較して)
一方、非HSPから見ると、HSPはしばしば「お人よし」
時には「お人よし過ぎてバカ」にさえ見えるそうです
実際に私は非HSPさんから、そう言われたこともあります
だから、非HSPに親切にするときは、自分が親切にしたことを忘れるくらいでちょうどいいと思っています。
(当然、こちらが無理してやることもない。したいなら無理してやってあげてもいいけど、やらなくてもいい)
自分が助けてあげたい、と思ったならば助けてあげればよいです。
でも、もし自分が(無理して)何かをしてあげることで、相手に感謝して欲しいとか、
見返りのようなものを、相手方の非HSPに期待する気持ちがどこかにあるならば、
最初から何もしないほうがいいかもしれません。
HSPが無理して非HSPを助けてあげる必要もないかも。非HSPのほうが強いことも多いし。
非HSPもそれほど期待してないみたいだし、してあげたからと言って、それほど感謝もないことが多いです。
(もちろんちゃんと気持ちが伝わるようなタイプの非HSPもいます。
でも、人によっては助けてあげたことで逆に甘く見られて利用されてしまうことさえもあります。残念なことですが)
ですから、自分がどうするかはそのときの状況次第で自分で選んだ方が良いと思います。
HSPが非HSPの言動を「冷たい」「思いやりがない」と感じているときも、
非HSPにとっては「それが普通」「別に気にならない」と感じているようなことって、けっこう多いように思います。
非HSPを「冷たい」「ヒドイ」と思い、非HSPに「傷つけられた」と思って落ち込むよりも
非HSPを「もともとそういう人」
「HSPの自分とはもともと全然違う感じ方考え方をする(異星人のような)人」と
認識していた方が、自分が傷つかず、精神的にずいぶんラクです。
見た目は同じ人間みたいだけど「実はよその星から来た宇宙人」とでも思っていたほうが、誤解やトラブルが減ります。
HSPと、非HSPの間では、それほどの感じ方や認識の違いがあるようだと言うことです。
でも、ぶっちゃけて言えば、傷つくかどうかは、自分が決めることです。
傷つかないことも自分が自由に決められることです。
どっちにしても相手は変わらないですし。
傷ついて落ち込む自由もあれば、「そういう人なのね」と割り切る自由もあるし、他の考え方でも別にいいんです。
たとえ嫌なことをされたとしても、それに対して
自分が落ち込むか、他の考え方をしていくか、どうするかは、実は自分が選択、決定できることなんです。
別にワンパターンにいちいち傷つくこともないんですよね・・・
(でも私も若い頃は自分とはあまりにも違う非HSPに驚き傷ついてばかりでしたけどね)
非HSPとHSPという概念を知ったとき
「ああ、そうだったんだ、今まで気にして損した〜」と心底、思いました。
今まで自分が、対非HSPに関する悩みに費やした膨大な時間とエネルギーを考えると、気が遠くなり
クラクラしました・・・・
無駄に使ってしまった膨大なエネルギーと時間を、もっと前向きな方向に費やしていれば・・と非常に後悔しました。
傷ついたって、傷つけた相手(非HSP)は全くそれに気付いてさえいなかったりするもの。
そして、非HSPが「そういう人たち」らしい、と知った今、こっち(HSP)が傷つくだけ、
労力と時間のムダなような気がします。
別に傷つくのもその人の自由ですが、それって損するばかりであまりトクすることがありません。
(もし芸術家なら、自分が傷ついたことを表現して作品作って昇華するとかも良いかもしれませんが)
こういうことも、きっと非HSPには理解できないことでしょうから、
HSPである私たちが、適切に対処すれば良いのではないでしょうか。
世の中、いろんな方法、いろんな考え方がありますが、
一番ご自分にシックリ来る方法、自分が一番ラクな方法を取ればそれで良いんではないかと思います。