子供を信じよう
子供が不登校になってから
ま〜自分でもいろんなこと毎日いろいろよく考えたもんだなーと思いますが
考え過ぎ、頑張り過ぎ? で現在、ダウンしてます
いろいろ考えてみて
そして休んでいる布団の中で
今までのことをぼんやり思い返しながら最後の結論として出たことは
「子供を信じよう」
ということでした。
結局のところ、親は、子供を信じて、見守るしか、できません。
いろいろなことを教えることはできますが
もちろん親として最低限の善悪とか、社会の常識とかは叩きこまなければいけませんが
それ以上のことは、子供を信じるしかないのかも。
子供には子供の人生があり、それは親の人生とは別物です。
自分の子供とは言っても、自分とは別人格。
何が子供にとって幸せかは、子供が自分自身で決めていくことなのかもしれません。
もし子供が途中で挫折したり回り道をしたとしても、それに付き合ってあげるのも親のつとめで
その時は一緒に回り道を楽しめばいいし。
たとえほとんどの人が通って行く大通りは通れなくとも、
可愛い野の花の咲く、誰も知らない小さな細道を、息子と二人、おしゃべりしながら笑いながらのんびりと歩くこともでき
そこにはまた違った幸せが見つかるかもしれません
人によって、幸せの形はそれぞれで、他の人から考えると不幸なことでも、本人が幸せだったりすることもあるし、何が不幸で何が幸せなのかなんて、誰にもわからないものですよね・・・。
特に息子はHSP,非HSS。
少数派で感受性が鋭いこともあり、「一般的な幸せ」がこのタイプにはあまり当てはまらないことが、よくあります。
(まあ私もそうだから言えるんですけど)
また、私自身も、周りから必要以上に心配・介入されたりすると、けっこう不愉快に感じてしまうほうです。
(もちろんそれは相手次第で、相手とその内容によっては感謝するし有難いこともあります)
そして、相手は良かれと思ってアドバイスや心配してくれているのに
きっと愛情ゆえに心配してくれているだろうに
心配されることをなぜ不愉快で迷惑に感じることが多いんだろう・・・
私の感覚が変なのかしら? とずっと謎だった上に
「心配してくれているのにそれを迷惑に感じるなんて・・・」と自分の感覚に妙な罪悪感まで感じてしまって困っていたのですが
以前、小林正観さんの講演会で聞いた言葉
「心配するということは、結局、相手を信用していないということなんです」
この言葉を聞いたとき、目からウロコでした。衝撃的でした。
長年の謎が解け、霧がパアっと晴れたような感じがしました。
聞いた当初は非常に驚きましたが、突き詰めて考えれば、確かにその通りです。
相手に十分な実力があると思われ、大丈夫そうだったら、人は心配しません。
相手のことを心配するのは、一見、とても親切なようですが
どこか、相手の力を「信用していないから」心配するということが、無きにしも非ず。
だから、あまりにも心配されると、誰しも不愉快になるのですね。
心配するのって、ある意味、どこか失礼な行為だったのかもしれませんね。
私も、親や周りから心配されると、不愉快に感じることがよくありましたが、
なるほどそういうことだったのかあ・・・と納得してしまいました。
感覚的に「なんか嫌だ」と言うのは、ちゃんと理由があったのですね。
理由は後からでないとわからないこと場合も多いですが、人が感じることには、すべてちゃんと理由があるのかもしれませんね。
あと、何かの本か何かで以前読んだことかなと思うのですが、ふと頭に浮かび上がってきたことは
「心配は、実現する」ということ。
心配すると言うことは、いつもいつもそれに焦点を当てて物事を考えていると言うことなので
心配がいつも頭の中にあり、そればかり考えていると、いつのまにかその心配を実現させてしまうことがあるというのも決して不思議ではありません。
親から見ると、子供と言うのは子供が年をとって「いい大人」になってもやっぱり親から見ると「子供」ですので
文字通り、子供が子供のころから大人になってまで、いつま〜でも心配なのかもしれませんが、
心配するのは本人にも、相手にもあまり良くない行為なのかもしれません。
それに「心配されちゃうから言わないでおこう」とか思って何でも話さなくなりますね。(これは息子も自分自身もどちらも経験あり)
私の両親は非HSP。
非HSPにとっては、HSPというのは、結局のところ理解不能みたいなので、なおさら心配になるのかもしれません。
子供の力と言うのは、未知数。
そして、親としてできることと言えば、結局は
「子供を信じて、見守ること」だけしかないように思います。
悪いことを考えれば、悪いことしかおきませんが
良いことを考えると、良いことばかりが起こってくることがあります。
悪い面を考えると、悪い面にしか目が行きませんが
良い面を考えると、良い面がたくさん見えてくるもの。
これからは、必要以上に子供を心配せず
子供を信じ
子供の、そして自分たち家族の、明るい未来だけを考えていくことにします。
というわけで息子に
「あーたのこと、信じとーけん それにあーたの人生だしさ〜」
と言うと
「ええ〜〜?」とちょっと困ったような、はにかんだような、可愛い笑顔を見せる息子でした。