自分といつも一緒にいてくれるのは、自分だけ

確か「天才子役特集」 とかいうテレビ番組で

ドリュー・バリモアが言った言葉が、耳に焼きついて離れませんでした。


「いつも、私と一緒にいてくれる誰かをずっと探し続けていたけれど、それは自分だって気がついた。

だって、自分はいつも、自分と一緒にいてくれるんだものね」


う〜ん・・・
ふ、深い・・・・


天才子役と言われ、「E・T」で大ブレイク。

母親自身が若いころハリウッドスター志望で

その母親の夢を代わりに叶えるため

子供らしい子供時代を過ごすことができなかったドリュー・バリモア


彼女は「子供」として母親に愛されることを熱望していたけれど

母親は彼女を「自分の分身」そして「自分の夢を代わりに叶えてくれる人」として見ていたのでしょう。


子供は自分の分身などではなく、全然別の人間で。

子供は母親の思うようになる存在ではなく、支配してよいものでもなく、まったく別の「ひとつの人格」なのですが

きっと、ドリューの母は、子供を自分の分身のように思い、自分の思い通りにしてもそれは許されることだ、
そんなことたいして悪いことではないと、どこかで思っているような人だったのかもしれません。

(そういう母親って、世の中けっこう多いみたいだなと感じています・・・)


ドリューは麻薬中毒が有名で、今まで私の中では、ただの不良のイメージしかありませんでしたが、
彼女なりにとても苦しんでいたことを知り、見る目が変わりました。

9歳から喫煙、11歳かそこらで、マリファナやコカイン。

麻薬で逮捕され収監された後、麻薬中毒を克服。

15歳か16歳かそこらで、母親から独立し自分で自活し、生計を立て始め、

最初は普通のアルバイトもして働きながら、オーディションを受け続け、
女性ならやりたくないような汚れ役さえもこなし、下積み生活を続け

そして10年くらいかかって、やっと「チャーリーズ・エンジェル」で再ブレイクを果たし

今ではドリュー・バリモアの映画出演のギャラは何億円とか何十億円とか?言われています。



「自分はいつも、自分と一緒にいてくれる」という表現は

たぶん、母親の愛情を十分に感じられることがなかった人が持つ感覚なのかもしれません。


自分を外から眺めているようなどこか醒めたような感じ。

自分の心と体の一体感がなく、どこか自分の心が自分からだとは別々のような感覚。


そして、「自分がいつも自分と一緒にいてくれる」ならば

自分自身を高め、大切にする必要性が出てきます。


なぜなら

「惨めな自分、可哀そうな自分」とずっと一緒にいることは、

「惨めな自分と一緒にいる状況を自分に対して許してしまう」ということだからです。

それって、自分に対し、失礼ですよね。


でも、両親の愛情を十分に得られなかった人は、けっこう、自分に対し、失礼なことを普段からしています。

自然と、自分で自分をそんなふうに扱ってしまっているんですね・・・


母親から大切に扱われ、その子の意思も尊重されつつ、

「自分で考えて決める」自由と責任の両方を与えられながら育てられた子どもは

自分が「大切にされるべき人間」だ という静かな自信があり

そして

自分の人生は自分で選びとって行くものだということをいつも自然に感じていて、そうふるまえるため

自分を粗末に扱うことはありません。

というか、できません。


でも、そういう子供時代を送れなかった人の方が世の中たぶん多く

そして、もちろん程度問題なのですが

程度のひどかった人は、つい日常的に自分を粗末に扱ってしまいがちなので


そういう人は、普通の人以上に

「自分」が本当はどう感じているかに目を向け、自分で自分を大切に扱うよう気をつける必要があります。



「いつも、私と一緒にいてくれる誰かをずっと探し続けていたけれど、それは自分だって気がついた。

だって、自分はいつも、自分と一緒にいてくれるんだものね」


いろいろなことを気付かされ

深いな〜と

感じる、ドリュー・バリモアの言葉でした。