私の領域、あなたの領域、神の領域
今、バイロン・ケイティの「ザ・ワーク」と言う本を読んでいます。
有名な本なのでご存知の方も多いかもしれませんが・・
忙しくて空き時間にちょこちょことしか読めず、まだ途中なのですが、とても良い本だと思うので、ご紹介いたします。
私の領域、あなたの領域、神の領域
著者のバイロン・ケイティさんによると、この世の中で起こることはこの3つのどれかに含まれるそうです。
私の領域とは、私がすること、できること。
あなたの領域、とは、あなた(自分以外)がすること、できること。
神の領域、というのは、文字通り、人がどうすることもできないこと。
神の領域で起こることは、人間がどうすることもできないこと。
だから、受け入れるしかない、受け入れた上で自分がどうするかを選択し、決めていくしかありません。
世の中のほとんどの悩みは、「領域」の区別がついていないから起こるのかもなあと思いました。
例えば、「あの人が私のことを好きになってくれたら」という古今東西の「恋の悩み」。
これは、好きになるかどうかは、「あの人」が決めることで「あの人の領域」のお話。
それを「あの人」ではなく、「自分」がなんとかしたいと思うからこそ悩みが生じるのですね。
ケイティさんによると、「あの人」の領域に自分が勝手に入り込んで
そのせいで、自分のことがお留守になっているから自分が「寂しい」と感じるのだそうです。
我が家の例で恐縮ですが
小学6年生の娘はとても甘えん坊で、仕事で忙しい私に「自分の世話をもっとしてほしい」と強く希望しており
私がしんどい時でさえも「もっと子供に構え」「もっと世話して!」「可愛がって」とぐいぐいと迫ってくるのですが
私がしんどい時に娘が進んで家の手伝いをすることはあまりありません。
(多少はしますが「手伝って」と私が頼んでも、娘は「疲れてるから」と断ることが多い)
つまり、彼女は「彼女自身は無理をしない」人ですが、母親の私に対しては
「ママは無理してでも自分に構ってよ、世話してよ」と強く要求してくるタイプです。
(まあ子供はそんなものかもしれませんが)
しばらくそのままにしておいたのですが、最近になって
「なんで私にもっと構ってくれないのよ!」と般若の面を髣髴とさせるような赤黒い怒りを含む目
恨みがましい顔で私を見るようになってきたので
私はまず、「最近、あ〜た顔が変だよ」と注意しました。
そして「自分の領域」「あなたの領域」「神の領域」の話をしました。
あなたはママに、もっと可愛がって欲しい、とか世話して欲しい、とか思うかもしれないけど、
ママは今忙しくてできないこともあるし、
ママが働かないと生活して行けないし
あなたの世話をどこまでやるかは、ママが決めることで、あなたが決めることではないでしょう。
それはママの領域。
ママができることはするけど、できないことはできない。
だから、ママに期待するのではなくて、まず「自分の領域」からやれば?
誰でも「自分の領域」しかできないんだし、そこを充実させるのが一番理にかなってるし幸せになれるよ。
相手に期待しない方がいいよ。
「相手の領域」に踏み込んでしまうと、自分が苦しくなるだけだよ。
ママが世話できるときはもちろん世話するから、そのときは「嬉しいなあ」とか思って幸せを感じればいいじゃない?
そんなことをいろいろ話していたら、娘のちょっと般若入ってた顔が柔らかくなって
「ママ、いいこと教えてくれて、ありがとう」と感謝までしてくれました。
良かった、良かった・・・
「霊」とか「怨霊」のようなものがもしあるとするならば、
それは「相手の領域」と「私の領域」の区別がつかなかったから「怨霊」になってしまった・・・のかもしれません。
死んでからももちろん、生きている間も、人を恨み、世を恨む「生き霊」にならないようにしたいものですね。
「相手の領域」「神の領域」に踏み込んでも、自分が苦しくなるだけ。
「自分の領域」「あなたの領域」「神の領域」
この考え方を知って、自分自身もとても楽になりました。
この考え方を自分自身の子供時代や、今まで納得できなかったこと、
不満に感じていた人間関係等にあてはめて考え直してみると
世の中がとてもシンプルなものに感じられます。
もともととてもシンプルな物なのに、自分の心が混乱していたことで複雑怪奇なことになっちゃっていたのかもしれませんね。
私はクリスチャンでもなんでもなく、無宗教ですが、本の中のこの言葉にはぐっと来ました。
「神様、どうか私が人から愛や賞賛や感謝を求めることがないようにお助け下さい」
相手から、愛、賞賛、そして感謝してもらえたときって、とても嬉しかったり甘美に感じられるものだったりしますが
これらはすべて「相手の領域」ですね・・・