非HSPの求める人物像に、HSPの自分を当てはめる必要ってあるの?

HSP、というタイプの人が、この世にけっこうたくさん存在するということは

HSPの「敏感さ」を非HSPから「欠点」と思い込まされ、自信をなくしてしまいがちになるということかもしれません。


もしあなたが非HSP(戦闘・兵士タイプ)なら、敏感さは臆病さにつながりますから、

臆病な兵士は戦闘にはあまり向かないかもしれないので、敏感さは欠点と思われやすいかもしれませんが


あなたはHSPで、戦闘兵士タイプではなく、参謀・僧侶タイプなので、関係ないことです。


HSPのあなたにとって、敏感さは欠点でなく、あなたらしさであり、長所です。

でもあなたがもし、非HSPのように生きようとすれば、それはきっと欠点に感じられるでしょう。


だからこそ、HSPのあなたは、非HSPのように行動するべき、生きるべきではないんです。

なぜならそうすることは、HSPのあなたにとって、すごく不利なことですから。


あなたがHSPなら、使いようによって、「敏感さ」は欠点ではなく、長所となります。

先を見通して考えたり、危険を早めに知らせることによって、あなたやあなたの周りの人を守ってあげることができます。

また、繊細な感受性を生かし、

芸術作品を作ったり、
きれいな文章を書いたり、
今まで誰も気づかなかったことを世の中に発信したりすることもできます。

気づいたことは、それぞれのHSPで微妙に違うと思いますので、それぞれ自分らしいことをされたら良いと思います。

実は、コンプレックスは、長所の裏返しなんです。


私は、子供のころから非HSPだらけの中で育ち、それがツライことも非常に多かったですが

それも意味のあることだったんだな、それで良かったんだなと今では思っています。


なぜなら、非HSPにはHSPの感受性がほとんどないか、あっても少しだということを身をもってよーく知ることができたからです。


HSPが普段普通に思ったこと、日常で感じていることを非HSPに話すと、

HSPには「ビックリ」「何でそんなこと気づくの」「確かにそう言われてみればそうだね」「スゴイ」「よく気づくねえ」などと
言われることが多いというのを実感してきました。

でも、内容があまりにも敏感過ぎて、非HSPには全然ピンと来ない場合には、思いっきり否定されたり
(気づかないことだから当然ですが)

「気にしすぎじゃない?」「そんなのどうでもいいやん」と言われることもありましたね・・。



察しのよいHSP

一方、世の中の大多数が非HSPです。

HSPが賞賛するのは「強く」「賢く」「(男性なら)たくましく」「(女性なら)明るく」

一般的に、そういう人が世の中から認められ、世の中から求められるようなタイプかなあと思います。

もしあなたが非HSPなら、そういうタイプを目指すのも良いかと思います。


HSPの求める「タフさ」「元気さ」「明るさ」等に応えて、元気に、明るく、タフにと、始終そんなふうにふるまっていると、
だんだんHSPは疲れ果ててしまいます。


もし疲れ果てたときは、世の中から一時的に引きこもっても全然良いと思います。
(一時的にはいいけど、ず〜っと引きこもるのはオススメしません

ず〜っと引きこもってしまうまで疲れ果ててしまう前に、疲れて高ぶった神経を落ち着かせ、休める必要があります。

神経が高ぶったら、早く鎮めたほうが良いです。

なぜなら、神経があまりにも疲れてしまうと病気になったり、ダウンしたり、死にたくなってきたりとかするからです。


もし、家族が非HSPだらけなら、あなたの部屋に閉じこもらないと、やっていけない、神経がもたないことも多いかもしれません。

そういうときは、一人静かに過ごせばよいと思いますし、そうするべきです。

(部屋に引きこもって勉強してれば、非HSP親は何も文句言いませんよ。一種の処世術?みたいなもんです


現在、私には二人子供がいますが、もちろんかわいいですが、休みで子供がずっと家にいたり、

また、仕事等で人に会うことが続いたり、来客が多かったりして休む暇がないと、
いつのまにか、非常に神経をすり減らしてしまいます。(世の中ほとんど非HSPですしね)


自営で、基本的に一人でする作業が多いので、今は以前ほどは疲れにくくなってきましたが

もし今も普通にお勤めしていたら、私はどうかなってしまっていたかもしれません。
(たぶん何かのストレス性の病気には必ずかかっていると思う)


それにもちろん、仕事が自営でも疲れるときはあります。


私は、家も騒がしいし、家の中でも一人になれない、疲れを癒せないときは、神社に行きます。

神社で清清しい空気を吸って、ぶらぶら歩いていると、とても気持ちが良いし、落ち着きます。

二人のとしごを育て、子育てで疲れ果てたときも、子供とよく神社に行っていました。

今は車で一人で神社に出かけることも多いです。

一人のときは、神社の境内や河川敷等に車を止めてちょっとシート倒して寝てたりとか


神社は、とても大きい神社は参拝客が多かったりするし、小さい神社は木が少なくてあんまり癒されないので
中くらいの神社が一番好きです。


深夜の一人ドライブも好きです。

深夜の一人ドライブのときには、途中で、深夜営業のモスバーガーのドライブスルーで美味しいコーヒーを買います。

モスのW認証の有機栽培のコーヒーはとっても美味しいと思います


すっごく神経が疲れているときは、音楽等もかけず、しんとした町の中、コーヒーを飲みながら

ひたすら深夜の道路を走り続けます。

しばらく、30分くらい走っていると、なんだか気分が落ち着いてきます。

元気を取り戻してくると、車の中で歌ったりすることもあります

(実はカラオケ好き。それに歌を歌うことは、歌う本人にとって癒しになるらしいです。

カラオケ好きな人って、だいたい、人の歌はあんまり聞いてなくて(一応気使って聞いてるそぶりするし盛り上げるけど)、

それより、自分の番が早く来ないかな〜、早く歌いたいなあって、内心思っている感じですよね

一般に女性はエステとかお好きでしょうが、私は逆にエステティシャンに気を使ってしまい疲れてしまいます

疲れたら、一人で疲れを癒すのが一番だと思っています。



自分がHSPだってことを全然知らなかった、子供のころ

たぶん10歳くらいから

「なんで自分だけ他の子と違うんだろう・・・」と自分と他者との根本的な違いに気づき始め

「自分が周りと違う」ことに混乱と不安を感じていたころ

HSPの家族の前では「強い自分」を演じなければいけなかったころ(そうしなければ認めてくれないような雰囲気)

毎日、外で戦わされて、神経が擦り減り、ボロボロのぼろ雑巾のような自分をもてあましていたころ

「大人になればきっとタフな人になれる」と微かな希望を抱いていたころ

ただ学校に通学したり、勤めに出るだけで疲れ果て、帰宅後、どこかに出かける気力さえも残っていなかったころ



唯一、私が「ほっとできる時間」が

「家族が寝静まった深夜」でした。


しーんとした深夜。


家族の誰も私に干渉してこない。話しかけてこない。

誰も急に部屋に入ってこない。

神経をかき乱す人も、物事も起こらない。

対、非HSP用の仮面をつける必要もない。

素のままの自分でいられる。


すごく落ち着く時間でした。

心からほっとして、リラックスできる、自分らしくいられる、「生きてる・・・」という実感が持てたのは、

一日でこの時間のみだったかもしれません。


もしかしたら、これは今でもあまり変わっていないかもしれません。