HSPで、なんか悪い?
ご自分がHSPだということを認めたくない人がときどきいらっしゃいます。
「みなと同じがいい」「自分が非HSPだったら良かったのに・・・」、とのことです。
(私はどちらかと言うと、皆と同じは嫌なので、なんで皆と同じがそんなに良いのかいまひとつわからないんですが)
多くのHSPは、自分がHSPと気づいて、やっと合点が行った、こういう感覚が自分だけでないと知ってホッとした
私に「ブログ書いてくださってありがとう」、と言って下さる方、コメントや拍手に感謝の気持ちを書き込んで下さる方がとても多いです。
ありがとうございます
(ただ拍手欄によく書いて下さるとこが非常にHSPぽいなあといつも思いますコメント欄だと誰からでも見られますが、拍手欄に書き込むと私しか読めなくて、他の人には見られませんからね・・・)
私も、ブログ書いて、自分のこと晒して、ときどき「いいのか?ここまで書いて」とか思いながらも書いてますけど
自分自身も、HSPという人たちがいる、ということを知って、やっと合点が行って、楽になってホッとしたので
知らないで苦しんでいる人たちの為になれば嬉しいなあと思ってブログ書いていたりするし
喜んでくれている方々がいることがとても嬉しいので書き続けているのですが
「HSPの自分が嫌。認めたくない」という人が時々いて、正直、そういう人と接すると、なんか凹みますしとても残念です。
ありのままの自分のことを、そのまま認めてあげられなくて、自分が自分で気に入らないというのは、
ご本人にとっても、とても不幸なことだと思われますが
「HSPの自分自身が嫌だ。自分も皆と同じ、非HSPなら良かったのに」 などと言う人がいると、私は、
「HSPで、なんか悪い?」
と言いたくなります。なんだか腹さえたってきます。
自分のありのままを認めないで、先はないのに。
自分自身を否定して、この先、いったいどこに向かうというのでしょうか。
HSPなのに、HSPでなく、非HSPとして生きていこうとするのは、
魚が鳥になろうとするようなもの。
自分以外の何かになろうとすることですから、まさに茨(いばら)の道です。
わざわざ茨の道選んでボロボロになりたいと仰るのは、それはご本人の勝手ですが、
HSPにもいいところはたくさんあるのに
頑張って生きているHSPが多いのに
「HSPだと認めたくない」って、他のHSPにすごく失礼なことだとはこの人は思わないのかな〜と不思議です。
もしかしたら、HSPの中でもHSP度が低い人なのかもしれませんが。(個人差があることなので)
私自身は、HSPの自分って、体調管理とか、仕事の量の配分とか、仕事と子育ての両立や、
自分自身との付き合い方が少し難しいなと思うことはありますが
非HSPになりたいと思ったことは一度もありません。
「HSPの自分が嫌だ、自分が非HSPだったら良かった」という方にちょっと腹がたっているので、言わしてもらいますが
HSPがダメで、非HSPが、そんなにいいですか???
HSPの私の目には、非HSPはとても雑で粗野に見えることがあります。
HSPは、遠慮して本当のことを言わず、自分だけが違うのかもと思って、自分の感じていることも言わず、
今まで非HSPに一方的に言われっぱなしだったように思いますが
こっちだって、実は、非HSPのことを、雑だとか、無神経だとか、味気ないとか、感性が大味過ぎて面白くないとか、
情緒がないとか、野蛮だとか、動物っぽいとか、あつかましいとか、他にもいろいろ思ってますし
実は本当にもっといろいろ思うところはありますが、この辺にしときます。
人間だし、良いとこも、あんまり良くないとこも、どちらも持っていて、それはお互い様だと思うんです。
ただ性質や感性が違うだけなので、どっちがいいとか悪いとかではないので
それぞれを認めて、適材適所で、お互いのよさを発揮できるところにいて、役割を果たしていれば、それでいいと思っています。
親しい非HSPの人がよく言っていました。
「若いころは文学作品読んですごく感動したけど、大人になってから読むと感動しなくなった・・・なんか鮮度が違うっていうか」
こういう感覚は、もしかしたらHSPの人にはあまり当てはまらないのでは・・・と思います。
HSPは、年をとっても、いつまでも、みずみずしい感性を保ち続けることができます。
これはHSPの特権とも言えます。
また、本読んでも、映画みても感動できるし、日常の些細な美にも心奪われ、うっとりすることもできるし
心の琴線がいつもいつも、ず〜っと若々しいままです。
HSPは、感性がとても鋭く、若いころの瑞々しい感性を、保ち続けることができるゆえに、
芸術関係や音楽等、感性を必要とするクリエイティブな仕事に携わり続けることができます。
非HSPが、感性・見た目ともに、
年とともに、年々しっかり、オッサン化、オバサン化していく人たちがとても多いのに比べて、
HSPは見た目若々しい人がとても多いですし、感性も若いままです。(だからこそ傷つきやすいとも言えますが)
どちらが好きかは個人的な好みなので、いろいろでしょうが
私は非HSPになりたいとは全然思いません。
HSPの感じている世界は、とても豊かです。
非HSPの世界は、どこか味気なかったり、ドギツ過ぎて、どうもあまり美しいとは私には思えません。
私はHSPのままがいいです。
でも、HSPだと、傍から見てて、なんだか苦労しそう、不幸そうなイメージがもしかしたらあるのかもしれません。
それなら、「絶対、幸せになってやる」と思いました。
今も十分幸せなんですけど、非HSPから見て「わかりやすい幸福者」になるのもいいかもなあと。
「HSPの自分が嫌だ」という人に、ちょっと腹立てたりしてましたが、
その人のおかげで、ちょっとまた違った目標ができて、これはこれで良かったかも
HSPが、世に広く知られるようになって、これから先、
「私HSPです」という成功者や芸術家や、天才みたいな人たちや成功者が、たくさん出てくることを望みます
実際、芸術家や音楽家、芸能界にも「たぶんこの人HSPだろうな」という人がたくさんいて
HSPは才能のある人が多いと感じます。
将来的には、非HSPのくせに、箔を付けたいがため、
「私HSPです」という自称HSP(ニセHSPの非HSP)が出てくるかもしれません