もし悔しいと思うなら
不本意ながら、非HSPに「嫌がらせを受けてしまう」というのもHSPにはありがちなことです。
HSPが「すぐ驚く」とか「敏感すぎる」ということが、非HSPには「面白い」と感じられることがあるようです。
また、非HSPが、「強さ」や「勝つこと」を求める人種だということを考えると
非HSPの人たちの中での毎日の、絶え間なく行われているある意味、熾烈な競争、なんだか疲れるムダな競争や
(HSPから見ると、どうでもいいような競争のことも多いんですが)
周りとの階級付けや力比べの中で、「勝てた」HSPはそれでいいですが、
「負けた」非HSPは、「自分より弱い(と非HSPが非HSPのものさしで計ってそう思った人)」を自分の身近に探しだすことがあります。
そこでたまたま、「自分よりも弱い(非HSPのものさしで計った場合の弱い人)」がHSPであることがあります。(体力面とかで)
そういうとき、非HSPにとっては、HSPが
自分の損なわれたプライドを回復し、優越感を満たすための格好の標的となってしまうことがあります。
また、どこか「熱い」非HSP(HSPから見ると、ちょっと暑苦しいと感じられる場合もあり)に対し
HSPの、どこか「冷めたクールな視点」
非HSPから見ればどこか「意表を突く」ようなHSPの思考回路は
非HSPから見ると「脅威」「怖い」「なんなんだコイツ俺をバカにしているのか」などと思われることがあります。
(非HSPから見ると理解できる範疇を超えるから)
HSPの「気づいたこと」が非HSPの役に立つ、助かる内容だと
非HSPから、「スゴイ!」「賢い!」「すごいとこに気づくね」等、褒め称えられることも多いですが
そうでない場合(非HSPにとっては特に役立たないと思える内容や、非HSPにはわからない内容、そして非HSPには都合の悪い内容)だと
非難、糾弾されることもあります。
世の中、大多数の意見が、「普通の意見」「メジャー」となります。
このため、少数派のHSPにとっては、なかなか厳しいと思われる条件となりますが、
そんな中でも、非HSPに対し「悔しい」と思いあきらめないHSPは、なかなかいい根性をしています
このような厳しい条件下で、HSPが誇りを持って生きていくには、
HSP特有の繊細さを生かし、それを磨くことに尽きると私は思うのです。
体力や、精神的なタフさについては、非HSPにはかないません。
その点で非HSPと競っても、負けは確実で、非HSPの思う壺でさえあります。
そのような競争に加わるのは、あまり賢い選択ではないと思います。
ですから、その点では、潔く非HSPに「あんたが大将」と勝ちを譲り
非HSPがまねしようにもできない点、
HSPならではの美点を磨き、それを生かした道や、仕事を選んでいただけたらと思うのです。
(非HSPも単にHSPよりも優れている点だけで優勢だっただけの話ですよね。
非HSPの土俵では、HSPには勝ち目がなかったのと同様に、HSPの土俵では、非HSPには勝ち目がないのですよ)
・・・でも、別に勝ち負けはどうでもいいし、そういうことする時間があるくらいなら、自分のことをしたほうが有意義なのですが、
私は言いたいのは、HSPが、非HSPのように生きる必要はまったくないと言うことです。
むしろ、非HSPのように生きたくもないですし。
HSPには、HSPならではの幸せと、心の豊かさや満足感があります。
競争に明け暮れ、強い刺激を好む非HSPは、そういうのが楽しいみたいだけど、HSPから見ると、
非HSPの生活って、ハードで、きつくて、なんだかやり方汚いとかズルイとさえ感じられることもあるし、あまりいい気持ちはしません。
好みがあるのかもしれませんが、私は非HSPのように生きたいとは全然思いません。
それに、HSPでしかできないこと、非HSPには逆立ちしてもできないことって、世の中たくさんあるのです。
ご自分には何ができそうか、どんな点が周り(非HSP)とは違うか、よーく観察し比較していると、だんだん違いがわかってきます。
そして、自分が「楽しい」「満足感がある」と感じられることで、仕事として成立する(金銭的な対価が得られる)ことが見つかればそれだけで良いのです。
とてもシンプルで、それほど難しいことでもないのです。
自分が楽しいかどうかは、自分でしかわからないので、ご自分で見つけるしかないです。
「そんなの見つからない」と思うと本当にいつまでも見つからなくて一生終わってしまうかもしれないので
「見つかる、見つかる」と思いながら、注意深く、あなただけの道を見つけてみて下さい。
HSPの成功者が、今後、たくさん現れて来るのが、私は今から楽しみで仕方ありません