◆子育てが大変なのは「自然」を相手にしているから・・でも自分も自然の一部よね?

子育てって、大変ですよね。

子育てで、何が一番キツイかというと

「子供が親の自分の言うことを聞かなくて、周りに迷惑をかけて、親の自分が謝って回らないとならない」というのがあります。

これが親としては、子育てで一番キツイことのひとつかもしれません。

親になってからというもの、私も近所や周りに謝ってばかりで来ました。


養老孟司さんによると、子供は「自然」だから、子育ては大変なんだということです。

養老流 子育て論
http://www.sodatsu.com/senses/message/index.html


子供は「自然」なので、子育ては自然を相手にしている作業。

稲作とか、畑仕事とかと似ているということです。

稲作と同じで、台風等の自然災害に遭って稲みたいに倒れることもあるし

成長の予測がはっきりとはつかないし、何をするかどうなるかわからない部分があるし、

結局、どんな人になるか、どんな風に育つかはわからないものなので、子育ては大変なんだそうです。


私も若くてまだ未婚だったころ、

電車で小さい子供が騒いでいるのに全然注意しない母親を見て腹が立ったことがあります。

電車は公共交通機関なので、小さい子供が騒いでいたら、注意するのが親の務めではないかと思うのですが、

私がうるさい子供に眉をひそめて、そのお母さんを「何で親のくせに注意もしないのよ」と見ていたら、

そのお母さんにギロリと睨み返されたことがあります。

そのお母さんにしてみれば、「子供育てたこともないくせに何がわかんのよ」と言いたかったのかもしれません。

若いころの私は、子供が自然だということを知らなかったのですね。

そのお母さんは雰囲気も顔も、鬼のような形相になっていたので、子供で毎日相当苦労されていたんだろうなあと思いますが

子供=自然 で、自然を相手にしているので、大変なのはわかりますが

たとえ子供が言うこときかなくても、母親としては、やはり注意はしなければいけなかったのではと思います。


つまり、何が言いたかったかというと、「子供は親の言うことなかなか聞かない」ということです

そして、子育てしたことのない人、「人工的」「都会的」に生活している人ほど

子供(=自然)に対する理解がないためつい厳しくなるかもということです。

私も自分の子供産む前は、子供はうるさくて嫌いでした


今住んでいるマンションは、下の階が老夫婦、隣が子供のいない夫婦。


特に、子供のいない夫婦は、「子供という自然」のことをよくわからない部分があるかと思うので、不満に思いやすいことでしょう。

階下も老夫婦なので、一日家にいることも多いだろうし、うちの子らがうるさくすると、気がつかれやすいでしょう。


どちらからも苦情が来たので、家族全員で謝りに行きましたけど


毎日のように、子供に、「下の人がうるさくないようにして、ドンドン音させないで」

「テレビの音を下げて」

「ケンカしないで」

等々、毎日、何回も私は注意しています。

「何でこんなに同じことを毎日、それも一日に何度も言わなきゃいけないんだろう・・・」と思います。

注意しても注意しても、聞かない子供を毎日相手にしているのは疲れます。


でも、私は自然を相手に「ああしろこうしろ」と言っていたのね・・・

自然相手かあ・・・

らちがあかんよね、とも思いました。

自然相手にキーキー叫んでも仕方ないのかもなあと思いました。それでも注意し続けるしかないですけど。


うちみたいな、子供のいる家庭は、少々うるさい場所の方が住みやすかったかもなあ、と思うことがあります。

ここは静か過ぎるので、引っ越したほうがいいかな、と思うことがあります。


以前は、夕方になるとほとんど毎日、マンションの周りを、幼稚園か小学生低学年の子供たちが

キックボードに乗って、ワーワー言いながら、キックボードガーガー言わせながら盛大に通っていて、

「う〜ん、今日ももうキックボード暴走族が通る時間か〜」と私は心の中で思っていましたが

確かにかなりうるさかったですが、夕方のひと時だけだし、

「子供はそんなもんだろう」「子供は自分ちの周りで遊ぶのが普通だし」と私は思っていましたが

マンション住人からの苦情があったらしく、ある時からピタリと、マンション周りでは誰一人子供が遊ばなくなり

可愛い「キックボード暴走族」たちも消えてしまいました。(このマンションは、マンション周りで子供が遊ぶの禁止みたい)


とても管理が行き届いていて、住人もキチンとした人が多く、どこにもゴミひとつ落ちていないほど掃除され磨き上げられ

非常に管理が行き届いたマンションですが、非常に都会的・人工的で、「自然」からはちょっとほど遠い気がします。


「子供は、自然」

そして、もちろん、HSPの自分も、自然の一部。

HSPももちろん、自然の一部。


自分も自然の一部、と考えると、

自分に合わないこと、無理し続けること、不快に思うことを我慢し続けることって

「自分の中の自然」に反することになるのでは・・・と思い至ります。


「自分の中の自然」に反することをし続け、無理を重ね続けていることが、「病気」として現れてくるのかもしれません。


自然界では、生存に適さないもの、環境に適さないものは、弱り、次第に淘汰されていくのが普通です。


ということは、

もし自分自身が、ある環境下で、あまりにも辛くて生きていけないほどしんどいなら、それは

自分がそこに合っていないということ、自分自身がそこから淘汰されている過程なのかもしれない、ということになります。


以前から思っていたのですが、HSPが、非HSPに負けじ、非HSPと同じくらい強くなろうと

血の滲むような努力をするのは、(昔の私もそうでしたが)

「自分が淘汰されてしまうかも」という危機感をどこかで感じているからではないかと思うのです。


環境に合わないものは、淘汰されていきます。


ですから、HSPは、自分に合った環境を自分で探し、見つけ、選び取ること、

自分で自分に合った環境の中で暮らしていくことが、非常に重要なのかもしれないと思います。


もちろん、環境の他に、人間関係や仕事選びも、とても重要だと思います。


今住んでいるマンションは、息子の不登校が辛くて、息子の通えそうな中学校を探してここに辿り着きました。

学校も荒れていないし、今どきどこでもいる茶髪の子なんかも全然見かけないし、

とても静かでキチンとした落ち着いた住宅地ですが、非常に静かでキチンとした所なだけに

私自身は、子供のおかげで、近所にいつも気を使わなければならず、ちょっと辛いです


あまりうるさいところも住むのは無理ですが、静か過ぎる環境では、自分らも静かにすることが求められます。

も少しだけうるさくて、近所を も少し気にしなくて済むところに、引っ越したいかも・・と思うことがあります。


息子が中学を卒業したら、また引っ越すのもいいかも。