[]◆たとえ親子でも家族でも夫婦でも恋人でも、人生は別々
最近、よく思うのが
「別々の人間なんだな」ということです。
HSPと非HSPって、「違うな」と思いますが
HSPとか非HSPとか関係なく、世の中いろんな人がいて
それぞれの人で、それぞれ、人生の目的や、目標、行き先が全然違っているんだなあと言うことです。
例えば人気芸能人等が、犯罪や、麻薬で落ちて行くのをネットのニュース等で見ると
「あれだけキレイな人や、カッコイイ人が、なんてもったいないことを・・・」
「芸能人にならず普通に生きていれば、(見た目で)すごい得すること多かっただろうになあ」等々、思いますし
「なんでわざわざそんなヒドイ目に合うようなことを、自分からするかねえ」と不思議に思ったりしますが
本人がそこまで落ちないと、気づけないような、
どん底に落ちて初めてやっと気づくような大切なことが、もしかしたらあるのかもしれません。
または、誰もが知っている有名人が大変な事件に巻き込まれることで
「ああなってはいけないよ」と多くの人に注意を促したり考えさせるという意味で存在価値があるのかもしれません。
それに、本人が気づかないと、いくら周りが言っても、その人が聞く耳持たなければ、もうお手上げ。
もう仕方ないよね、と思ったりします。
自分が良かれと思って注意したことでも、相手にとっては、単なるうるさいお説教だったかもしれないし
いらぬお節介だったかもしれないし
自分が「これが良い」と考えたことでも、相手にとってはそうだとは限らないし。
それぞれ価値観が違っていて、別々の人生です。
たとえ親子でも、家族でも、夫婦でも、恋人でも、行く道は別々。
物理的には近くにいたとしても、進む道は、決して一緒ではありません。
でも、最初から、「別々なんだから」と思っていると、少し気が楽になりますね
例えば、親子間でも、親がどんなに注意してもわからない、親の言うことがどうしても理解できない子ならば、
自分で痛い目見てもらうしかないです。
下手に親がかばうのは、百害あって一利なしかも、と思ったりします。
痛い目にあって、ボロボロになって、苦労して、そこで何かを感じ取って
自分で考えて、一歩一歩進んでいくしかないんだろうなあと思うんです。
先日イギリスの「鉄の女」サッチャー元首相が「バカ息子」をどこまでもかばっているのを見て
「親がかばうから息子がバカのままなんだなあ」と心底思いました。
(バカ息子が悪いことすると全部金で解決。多額の保釈金払ったり。
挙句の果てにバカ息子を砂漠から救出するために国の軍隊まで出動させるという)
そんなことしてまで息子をかばったりするから、息子がいい年して、バカ息子のままなんですね。
そして、親としての態度にも問題があるから、息子がどこまでも果てしなくバカなことするんですね。
つまり、サッチャー元首相のバカ息子のバカ列伝は、サッチャー元首相と息子の、共同作業により出来上がっているのですね。
もし、ついバカなことしてしまって、その結果、大変な目にあっているのを見たら、
それは「バカなことしたせいでこんな目にあって可哀想に・・・」とは思いますが、
言ってもわからないタイプの場合には、親は、周りは、ただ、じっと見守り
「自分でしっかり痛い目にあってもらう」
または
「どん底まで落ちてもらう」
これが結局は、その人に対して一番思いやりのある最善策なのかもなあと思ったりしました。
どん底まで落ちれば、後は上がるだけなので、いっそ、潔くて良いですし
その人の人生を、その人以外が肩代わりすることは、できません。
別の人間には、なれません。
所詮、本人の問題です。
本人以外の問題を、他の人がどうこうしようとしてはいけないのだと、ふと、思い出しました。
私の領域、あなたの領域、神の領域(去年のちょうど今頃書いた記事です)
この3つは、ちゃんとしっかり分けないといけないのでした。(忘れてた)
分けないと、混乱し、ゴチャゴチャになってしまうのが当たり前なのでした。
その人自身が、自分をどうしたいかを、自分で決めて、自分で行動していくしかないんですよね〜。
周りがいくら言ったって、きっと、それしか、本人が納得する方法は、他にはないんだろうなあと思います。
グッドラック
ザ・ワーク 人生を変える4つの質問