[]◆「こうするべきだ」という「真実」の否定

苦しいとき、腹がたつときって、自分の理想や考えが、「現実とは違う」から苦しいんですよね・・・

たとえば、親子関係ですが

「親は子供の世話するべきだ」とか、「親は子供を可愛がるべきだ」という考えがあるから

自分の親が、自分に愛情をくれなかったり世話してくれなかった場合、腹がたったり、悲しくなってしまったりするのです。

「親は子供を可愛がるべきだ」と思っているから、「自分は可愛がられて当然」という傲慢な考えも出てきます。

親子の確執というのは、きっとそういうところから発生してくるのでしょう。

親子に限らず、他の人間関係の場合もそれは同様だと思います。


私は「愛情」というのは、相手に一番期待しないほうがいいもののひとつではないかな、と思っています。


相手が自分を好きでいてくれるかどうか、は、相手が決めること、感じることで、自分がどうこうできることではないからです。

ですからそれを相手に期待すると、心がぶんぶん振り回されてしまいます。


親は子供がかわいいことがほとんどですが、親子にも相性はあります。

一緒にいてあまりにも辛い場合というのは、それは相性が相当悪いことが多いので、親子だろうと離れていたほうがいいと思います。


またまた我が家の例で恐縮ですが、うちには猫がいるのですが

私は、「猫は、息子が飼いたい、どうしても飼わせてと頼んだのだから、猫の世話は息子がするべきだ」

と思っているのですが

現実としては、息子は猫の世話を十分にやりません。


猫は、確かに可愛いし、癒しを与えてもくれますが

私は、自宅で商品製作をしているので、猫の毛とか、そういうの非常に困ります。

その上、実は私はニオイに敏感なので、猫のトイレのニオイが少しでもすると、もうダメです。

息子がちゃんとトイレの始末をしていない時と、私が体調が悪かったり忙しすぎる日が重なったりすると

ニオイで、頭痛がしてきて家にいられなくなることもあります。

(ただ私がニオイに敏感なだけで、息子と娘はほとんど気にならないと言うことです)

私が感じているニオイを息子と娘は感じていないこともあり、

「ママ、犬並みね」とか

「犬並みの人も、大変ね」とか言われます(なんか失礼じゃない?)



さて、こういう状況で、私は、どうするか、ということです。

できそうなことは以下です。



◆猫を誰か飼ってくれる人にあげる

◆自分が猫の世話をする

◆息子を猫と一緒に、元夫に引き取ってもらって別々に暮らす

◆息子と猫、私と娘、で2世帯にする(将来的には絶対そうしたい)

◆猫を公園等に捨てる(これは今では法律違反で罰せられますしやりませんが)



と、書いてみると、

将来的には、私は、絶対息子とは別々に暮らしたいので(息子もそれを望んでいる)

息子が別々に暮らすであろう、大学1年生18歳というのは、あと4年なので、

私が息子と猫と暮らせるのは、あと4年ということになります。

「可愛い息子と、可愛い猫と暮らせるのは、実は、あと4年しか、なかったのか〜」と思うと

今の時間が、かなり貴重で輝いたものに見えてきたりして(不満タラタラだったのに)


あと4年なら、じゃ、猫の世話、ちょっとくらい、やってもいいかも。

あと4年だし、息子とニャンズと楽しく暮らしたいかも。

といきなり考えが変わり、自分の考えの変化に驚いたりして。


「何々するべき」と思うとき、腹が立って仕方ないとき、不安なときは、

実は、「真実ではないストーリー」の中で生きていたからなのかも・・・

真実を、自分の希望通りにねじまげようとするから、しんどいのですね。

真実を認めて、その中で自分がどうするかを考えたほうが、ラクな上に前向きですよね。


腹が立つときって「こうであるべきなのになんで?!」と思うから腹立つんですよね。


なんで腹が立つのか、の理由をよう考えると「〜すべき」という考え方に自分が囚われていることに気づいたりします。

自分の考え方の偏りやこだわり、自分って、意外な思い込みがあったんだな〜、と気づいたりします。

「〜すべき」と自分が思ったって、相手がそう思っているとは限りません。


「そんなことするなんて、信じられない」と怒ることもできますが、怒らないこともできます。

選択肢は意外とたくさんあります。

いつもいつも、怒ってばかりいるのも、ワンパターンで芸がないわね、と自分を振り返って思いました


「信じられない」と怒るのも悪くないかもしれませんが

自分が疲れる上に、相手との解決策が見つからない泥沼パターンに陥ることが多いと感じています。


クールに、「ああ、そういう人なのね」と認識した上で

自分の「こうじゃなきゃいけない」「こうであるべき」という考えをはずすと

自分の周りには、意外とたくさんの選択肢がゴロゴロあるのに気づいて、驚いたりします。


腹がたつのは、「現実ではない」ことを、当然のように望むからなのかもしれません。



◆ストレスは、思いやりのある目覚まし時計  真実ではないストーリーの中で生きる「ザ・ワーク」より
http://diamond.jp/articles/-/11983