冬は不登校の季節?!

今日は、息子は学校に行きませんでした。


去年も、この時期から、息子は学校に行きたくないとかなんとか言い出してちょこちょこ休み始め

去年2月、3月は、全然、学校に行きませんでした。


この時季って、息子にとって、「不登校の季節」なんでしょうか・・・?



子供が学校に行かないというのはやはり親としては相当に心配だし、困惑するし

私は家で仕事しているので、息子がいるとどうも仕事がはかどらないし

もともと1人になる時間も必要なたちだし


いろいろとっても困るんですけど・・・



それに息子は、以前の中学校で、執拗なイジメを受け、中学校にいけなくなったので、


息子の通えそうな中学を探してわざわざここに引っ越してきたのに・・・・

引越し、大変だったのに・・・


それなのに、学校、行かないの



親として、子供が学校行かないと、相当困惑するんですけど・・・・



でも、起きたことは受け止めるしかないし

混乱して慌てふためいても嘆いても、現実は変わらない。



これも、どこか、自分の「考え」を変えるなりして、自分の中で整理していくしかないんでしょうか。

というわけで、整理してみます。





常々、思っていたのは、学校と言うのは、非HSP向きに作られたシステムだなあ、ということです。

HSP向きではありません。


HSP娘は、

「学校超楽しい〜。友達いるし。私は学校のない土日がキライ。夏休み冬休みなんて最悪」とか言って

毎日とても楽しそうに学校に通っていますが

「学校楽しい」と(たぶん非HSPの)子たちが言うたびに、私は子供のころから、とても驚いてきました。


「それ本気で言ってんの」と小学生だった自分はいつも周りのクラスメートが不思議でした。


中学以降は

「こんなうるさくて、人多過ぎで、混沌、殺伐としていて、

無機質なコンクリートの箱みたいな学校のどこが楽しいのよ 居心地悪過ぎだよ・・・」

というのが、私の正直な感想でした。


正直言って、学校は私にとってはほとんど魅力がありませんでした。

私にとっては学校は、「子供の義務として行きたくなくても行かなくてはならない所」という認識でした。



確かに、自分自身も、学校に行くのはとても苦痛だったし

無理してどうにか通った小学校・中学校・高校も、どうにか合格した難関の国立医学部も、

せっかく合格したのにもう精神的にどうにもいっぱいいっぱいで、結局通えなくなって結局、その後中退したので、



・・・・これって、登校拒否ですよね。それも大学生のね



それまで、「私のとりえは勉強できることだけから、これやるしかないでしょう、たぶん」と

ちょっと周りとは違っている自分の将来のことを懸念し、好きでもない勉強を相当な努力して必死にやってきたというのに、

それがすべて水の泡と化してしまって、愕然としたし

「好きでないことを無理して続けても、結果的によくない結果にしかならないんだなあ」と痛感しました。


その後いろんな仕事にもトライしてみて

結局自分は、好きな今の仕事(ジュエリー・アクセサリー製作・ネット販売)しかできないことを思い知らされたのですが、

そのとき思ったのは

「・・・この仕事って、別に無理して学校通わなくても、あんなにシャカリキ勉強しなくても、できたことよね・・・」

仕事内容が、ジュエリー製作とか、撮影とか、ネットショップ作りとか、そんな内容なので・・・

私が必死こいて高偏差値、高得点取るべく努力してきた、

国語・数学・化学・物理・英語その他もろもろとは、ほとんど関係していません。


今の仕事に関係あるとしたら美術の授業くらいでしょうか。

美術の授業だけは、とにかく好きでした。いろいろな物を作るのも大好きでした。

大きな賞は一度も頂いたことがありませんが、(先生が勝手に出してしまう)私の絵や作品は

出せば出した分は全部必ず入賞でした。

大きな賞は一度も取れませんでしたが、なぜか一度も選外に落ちたこともないので、

たぶん子供らしいインパクトはなくとも(インパクトあるのが大きな賞を取る)

全体のバランスか何かが良かったんじゃないかな〜と勝手に思っています。


今でも学校の教科書で見た名画の数々が目に焼きついています。

私にとって、教科書の中で一番大事に、一番丁寧な扱いをしていのが美術の教科書でした。


でも、通った高校は、いわゆる進学校だったのでもちろん授業内容は美術メインではないし

美大に行きたいと親におずおずと希望を申し出た事もありますが

超ハイパー非HSPの両親には

美大なんてキチガイが行くところたい」とものの見事に一蹴されてしまいました。


母が元高校教師だったためか、私が「学校に行かない」という選択肢は、存在すらせず。

あれだけ無理して、毎日ヒリヒリするような思いで、全然行きたくもない学校に行き

家と学校を往復して消耗してクタクタ、ヨロヨロ、いつも鬱な気分でいたのは、私にとって意味があったんだろうか・・・

今でもとても疑問です。


大学に合格してからも、我慢して好きでもない勉強をし続けて、いつも首がガチガチに凝って痛くて

しょっちゅう風邪を引いていていつもどこかしら体の具合悪くて(たぶんストレスからだと思う)

お菓子をメチャメチャ食べていた(これもストレスからだと思う)毎日でした。



今、こうして、息子が学校休んで家にいますけど

それは、私が息子の年齢だった頃(13歳)、私が夢見てやまなかった

「(学校行かずに家にいられるという)夢のような生活」を息子が実際に、しているわけです。


私が子供のころはどうしても実現できなかった、夢のような生活を息子は実現させているわけです・・・


そういう意味では、息子は、とても幸せ者・・・・なのかもしれません。



去年2月の不登校事件以来、1年くらい?ずっと息子に私が言っていたのは

「学校がそれほどツライってことは、あなたは将来そのまま会社勤めするのはたぶん無理かもしれないから

将来、会社に行かないでどうやって食べていくか、今からよく考えて準備しときなさいよ。

HSPの子たちは、学校行ったり部活したりすることが、そのまま将来と直結しているから、それでいいんだけどさ・・

HSPの子たちは、学校卒業して、そのまま当たり前のように会社勤めするけど

HSPのあなたは学校がそれほどツライなら、会社行くのたぶん無理でしょ?

だから、何でもいいから、自分が食べていける方法を見つけときなさいよ」


すると息子は

「僕、自分が将来会社に行くなんて、まったく考えたこともない。僕、家にいるもんね」と答えていました。


・・・・だろうね・・・




HSPは、学校の中で、無理なく適応していき、そのまま社会に巣立っていきます。


私は自分が将来社会に出て行くことにも、子供のころから、なんだかとても抵抗があり

自分が将来社会に出て行くことが不安だったし、どうもピンと来ませんでした。

かなり無理してギリギリまで頑張っているのに、そういう毎日を続けていても、

自分の将来のヴィジョンがどうもピンと来ない感じでした。

将来は、私にとっては、霧かもやのようなものがかかっているイメージしか浮かびませんでした。

ヴィジョンが見えない、ピンと来ないことは、まず実現しません。


卒業後は、ごくごく当たり前のように、さっさと社会へ巣立って行く同級生たちを見て、実は、内心驚いていました。

私とは「何かが決定的に違う」と感じました。


それが何なのか、当時(20年前)はHSPとか全然知らなかったので、まったくわかりませんでしたが、

周りとあまりにも違う自分が、非常に不安でしたね。


自分の経験を基に、息子のことを考えると

息子が無理して学校に行くと、非常に消耗する、欝っぽくなるというのはよく理解できます。

(自分もそうだったので)


でもたとえ息子が学校行けなくても、将来会社等に就職して通勤することができなくても


結局、私も息子も、何かしら仕事ができて、無理せず生活できて、将来食べていければ、それでいいんですよね。


息子には何かしら、食べていくために息子のできること、息子特有のスキルなりなんなり磨いてもらってね。


学校に行かないと、息子の将来がないような気がしていましたが

私や息子みたいなタイプは、学校に行ったからと言って、順調に将来があるわけではなく

とにかく消耗して元気がなくなったりしてくるので、学校のプラス面とマイナス面を比較したら、

もしかしたらマイナス面のほうが大きいのかもしれない・・・。


学校行かなくても行っても、もしかしたら、どちらでも良いというか、どっちが良いかわからないというか

あまり学校に固執する必要もないのかもしれません。


息子がいると、私が1人になれないので、私が自分の神経を休めるために、

どこか1人になれる場所を探して見つけて確保する必要がありそうですが


ブログ書いて、整理してみると

まあ、なんとかなるかな・・・とも思えてきました・・・・。


それに、自分もいつも母から「心配」されていて、それがまたとても嫌だったことを思い出しました。

「心配」というのは、ある意味、「信用されていない」ということで、とても失礼なことです。


私と息子は、別々の人間で

私と息子の人生は、もともと別々だから、息子の将来は、息子が考えるべきこと。

基本的に親の私の問題ではありません。(誰でもそう)


親として息子から要望があれば、その手助けはしますが、

親として私ができること、やるべきことというのは、息子を信じて見守ること。


心配されるというのは、とても気分の悪いもので、息子も嫌がっているので

もう心配しないようにしようと決めました。(以前もそう決めたはずなのにすっかり忘れてた)


子供の将来のことを「心配しないで信じる」って、けっこう難しいですね

親としてはついうっかり心配してしまいます。



ブログって、いいと思うんですよね。

私の場合、もし、これが日記だったら、もっとグジャグジャな独りよがりな?

暗〜いだけのどうしようもない内容になってしまっていたかもしれませんし


読んでくれる人が誰もいないと張り合いなくてたぶん書かなくなるので頭の中が整理できないままになってしまうし

人に直で相談すると「まあ不登校なの・・・それは大変ねえ・・・」と同情されがちで気を使われてしまって

話すと逆に私の場合落ち込んでしまうので、こういうの人に話すの好きではないんですよね。


ブログは、なんだか人に、適度に「見られてる」感が、自分には最適。

距離感が最適です



いろいろなことがありますが、ブログ書いて、自分のことをできるだけ客観的に見ようとしたり、

頭の中を整理して、何ができて、何ができないか、大事なことが何で、何が不必要か、確認したりしているからこそ、

相当にツライときも、自分の心のバランスを保っていられるのかもしれないと思うことがあります。



今日も、長い文章を、読んで下さって、ありがとうございます